―――子犬と雨――― |
子犬が死んでいた。 否、死にかけていた、という方が正しい。 躰は無意識に痙攣し、それも弱々しく、もうすぐ果てるだろう。降りしきる雨の中、雨は無慈悲に体温を奪い命を刻一刻と削っていく。 それは摂理だ。 摂理に逆らえば道理を失う。それは命も生も死も同じ事。 ただ降り注ぐ雨音をかき分けるかのように水を跳ねる音が聞こえた。 「何をしている」 「それはこっちの台詞だ」 決して闇に紛れる事はないであろう向日葵色の髪と太陽の様な瞳。 「何ボサッと眺めてやがる」 「君こそ自分が何をしようとしているか理解っているのか?」 彼の腕の中で精気の失われた命。もって、あと……。 「俺には大佐が死にかけているこいつを眺めている様に見えたが?」 まさしくその通りだ。 「私には君が無責任にその子犬の死期を先延ばしにして苦痛を長引かせている様にしか見えんのだが」 それは欺瞞。 「まさか“まだ助かる”などと愚考を口にするつもりではあるまい?」 そう、完全に手遅れだ。 これでも死という概念……否、死そのものとは長い付き合いだ。だから死に体か否かは見分け…いや、空気で分かる。暖めようが水を飲ませようがどう足掻いても、助からない。衰弱は一定のラインを超えた瞬間死に変わる。それが逆巻く事はない。 「ただ、見物する様な真似をするより、俺はその“愚考”を思っている方がいいがな」 と言う彼もまたその子犬を抱いているにすぎない。 助ける事が出来ないのは既に承知らしい。対処法など存在しない。故にそれ以上の事はしない。否、その行為自体が問題ではなかろうか。ならば、何故手を伸ばし抱き上げた。 「自然に死を待つだけの存在に、人が介入するのは一つの冒涜だ」 総ての自然現象に人が介入する事自体が秩序を摂理を乱す。生と死の摂理を覆そうとして奪われたお前に解らないはずはないだろう? 人は動物とは違い無駄な意識や感情が存在しそれをこなそうと知恵を巡らし力を行使する。 人が介入するべきは人の事象だけだ。 それ以外、それ以上は してはならない。 確かに可哀相だと人は言うだろう。しかし叶わぬ夢を見させ、それが“叶うことはない”と絶望を抱かせるより元より夢など見させなければ希望も絶望もなく総てを受け入れ、抗うことも悲しむこともなく、ただ在るがままと受け入れ ただ、終わる事が出来るだろう。 しかしこの子犬はそれが叶わなくなってしまった。元より野良ならばそのまま朽ちるも理不尽な運命と受け入れるかもしれない。捨て犬ならば一度人に棄てられ(うらぎられ)死を覚悟したかもしれない。 世界と別離を告げ、世界の理不尽さを諦めたかもしれない。そこで、終われたかもしれない。無駄な思考も苦しみもなかったかもしれない。 しかし、鋼のはその寸前で 無駄な思考をする切っ掛けを与えてしまった。 犬が思考するかは知れない。しかし人なら思うだろう。 何故死に行く我に手を触れた、と。 一度諦めた温もりを 諦めた生を 助かりもしないのに 人の手が暖かいと知れば、己が冷たいと認識せざるを得ない。 その温もりに未練を想う。 助かるかもしれないという叶わぬ夢を見、助からないという冷たさに涙するは必至。 ならば涙は少ない方がいい。 だが子犬は二度裏切られる思いを経験することとなる。 人の体温は死と対極に在る。 「冒涜は……生きた証をも否定する事だろ。確かに摂理に逆らえば失う。確かにこいつは俺が触れた事によって、揺らいだかも知れない。覚悟していた死に再び恐怖するかも知れない。だけどな、こんな冷たい水に打たれるよりは少しでも冷たくないようにしてやりたい。それが摂理に反するなら俺は摂理に逆らう。恨まれるならそれでいい。綺麗事だと罵られるのもいいだろう。冷たいよりは冷たくない方がいいだろう? せめて、自分が暖かかった事を誇れるならば」 どちらが欺瞞か。 どちらも欺瞞だ。 世界を理不尽と思うのは救われないからだ。否、世界とは元より干渉しないモノ。故に理不尽と思うのは見当違いだ。理不尽なのは我々だ。矛盾を抱えすがりつくのは人間だけだ。正しくても間違っても何かを正当化しなければ生きて行けない。在るか無いかでしか物事を判断できない矛盾概念。 生と死は両極に在りて同一なり。 暖かさも冷たさも然り。 「大佐こそ、何で突っ立ってたんだ? そのまま通り過ぎるのが普通じゃないのか?」 「……別に意味は無い。私は君が言う通りただ突っ立っていただけだ」 大人は狡い。目を背けるから。子供は大人が見ない様に目を背けている事を突き付けて来る。それを誤魔化し欺く大人。……いや、子供にはそれはお見通しだ。子供騙しは子供には通用しない。 あぁ、せめて見取ってやりたかった。 独りの死は寂しい。 独りで死を迎えようとも その空間に独りにさせたくはなかった。 それは欺瞞。 人は他者を知り独りを知る。 孤独を感じ死するか、何かの存在に救われるか。 果たしてどちらを思うかは知れない。 だが、当事者は救いを求めている。 せめて淋しくなければと ただ、願うばかり。 結果など在りはしない。 結果は死の前では無意味だ。生の結果が死なのだから。 やがて子犬の体温は失われた。鋼のは子犬を近くの木の下に埋めた。もう子犬はいない。魂は死に躰は機能しない。地面の下で微生物に分解されるのだ。 あるのは“いた”という記憶だけ。それもやがて消えるだろう。 鋼のの土に塗れた手を雨が洗い流す。 暗く降りしきる雨の中、交わる事のない太陽。 そうやって真っ直ぐでいたら、やがて折られてしまうぞ。 世界は平等でも 人は平等ではないのだから。 「鋼の」 「何」 振返るその瞳。 揺らぐ事のない意志。太陽は変わらず太陽であり続けるという。ならば闇も変わらず闇で在り続けよう。 「傘もささずに街を歩くのはどうかと思うが?」 「傘もささずに…はお互い様だろ」 全く、可愛げのない。 杞憂は杞憂に終わった。 「機械鎧が錆びては単なる豆にしかならんな」 「無能が何を言ってやがる。中尉がいないと自分の身も守れ……」 大気中の水素に酸素の導火線を結び付ける。 「試してみるか?」 「売られた喧嘩なら買うぞ?」 全く子供だな。 私は、苦笑し背を向けた。 これ以上ここにいる道理はない。 足音が付いて来た。 「何故付いて来る」 「仕方ないだろ。俺、司令部に用があるんだから。それと大佐が中尉に怒られる様を見物しに」 「……言っていろ」 私はそのまま司令部へ戻ろうと踵を返す。 足音はそのまま付いて来た。 濡れた子犬が2匹、雨の街を歩いていた。 一つの命に出会い、別れて。 雨は降り続く。 ただ冷たく、ただ優しく。 ------------ 「なっ」 帰ってきた早々タオルで叩かれた。 「何考えてるんですか!?」 「ちょっと待ってくれ! 自分でやるから! 痛いって!」 濡れ鼠で司令部に戻るとホークアイ中尉がご立腹。タオルで頭を力一杯拭かれた。いつの間にか机には積み重なった書類。 それを見た鋼のは笑いを噛み殺していた。その背後から 「ほら大将も」 ハボックが鋼のの頭を拭いてやっている。 二人とも抵抗することは不可能、されるがままだ。 無性に笑いが込み上げて来て、 「気持ち悪いですね」 冷めた目でタオルを手渡された。 「さっさと着替えてさっさと仕事して下さい」 有無をいわさず執務室を追い出された。仕方なくロッカールームに向かう。その後を 「何故付いて来る」 何故か鋼のが付いて来た。 「ハボック少尉が大佐に着替えを工面してもらえって。文句は少尉に言ってくれ」 …………。 私とて普段司令部に予備として置いてあるのは一着だ。 「子供服は置いていないからな」 「子供扱いすんな!」 仕方ないのでYシャツぐらいは貸してやる。後は事務課にでも行って一番小さいサイズの軍服でも借りればいい。一応軍属だし。もっとも豆サイズはないだろうが。 いつの間にか雨音が遠ざかっていた。 廊下の窓から覗く外界。暗く重たい雲は流れだし、天が流した涙はおさまりつつある。 厚い雲の切れ間から光の帯が地面に向かって降り注ぐ。まるで何ごともなかったかの様に。ただただ溢れ出る。 「雨……上がったな」 鋼のが名残惜しそうに呟いた。 子犬と出会った雨は止んだ。冷たさのなか触れた微かな温もりはお前のナカに残っただろう。残らなくとも私の瞼の裏にはその姿がまだ残っている。 やがて消えるとしても その事実も思いも 本物だったと誇れるだろう。 雨も光もただ降り注ぐ。無慈悲に、最大の慈悲をもって。 久しぶりに見た虹は 儚くも美しかった。 タイトルの「子犬」の中には、大佐とエドも含まれているのだと感じました 雨の中、二人の間に存在する一匹の子犬 その状況から生まれる感情・異なった行動 けれどそのカタチの裏に、心情にある其々の優しさ・・・深いです とても良い・・・っ 無慈悲にと慈悲に=雨はそんな自分を打ちつけて、そしてこの感情を流してくれる と思ったのですが、皓露曰く 「無慈悲にと慈悲に=雨も光もなんだけど それ自体は降ってるだけで意味なんて持ってない。だから慈悲なんかない、でも慈悲がないわけじゃない。 時として雨は冷たいし災害も起こす、でも時に暖かく恵みのもなる。 冷たい恵みもあれば暖かい兇器にもなる。光も然り。 だから人間ぐらいなもんだって、意味とか理由を求めるのは。ただ降って、ただ止む。 そこに善も悪もありはしない。」 そんな意味?言ってて解んなくなった!と言ってましたが・・・うーん凄い! 本当にありがとうございました!! |